オーナーの車歴


オーナーと車のページに戻る   TOPに戻る

MAZDA RX-7GT(5MT) 1978年〜85年
私が生涯で最初に購入した車です。1978年当時の価格でたしか147万円(新車)ぐらいだと記憶しています。エンジンはロータリー12AのNAエンジンで高回転までストレスなしに回り電気モーターのような感覚でした。(馬力はグロス値で130ps)このころはポルシェ924が発売されており、プアマンズポルシェと言われながら924を目指して当時はまだ違法とされていたエアロパーツ/ストレートマフラー/6段調整スポーツダンパーを装着して走っていました。この初代RX-7はスポーツ走行は得意としますが、一般の町乗りは低速トルクが細く、アイドリング付近でのノロノロ停滞にぶつかるとギクシャクしてかなり乗り辛かった。おまけに燃費が市街地で4〜5.5kmと最悪で財布の軽かった若造の私にとっては経済的にはしんどかった車です。次の二代目RX-7の購入時に下取りに出しました。もう今は廃車になっているでしょう。現在ではそろそろヒストリックカーの部類に入りつつある車と言えるでしょう。
MAZDA RX-7GTXターボ (5MT) 1985年〜89年
二代目RX-7は発表前から予約し、すぐに購入しました。当時我が地域では最速でオーナーになりました。エンジンは13Bターボで185ps(ネット値)で発売当時としてはスカイラインGTなどと競合し国産ではTOPクラスの動力性能とコーナリングを誇っていました。この車に関しては特に大きな改造はせずカナダ仕様の250kmスケールのスピードメーターに交換(リミッターカット)しボルクレーシングのAW(16インチ)を装着した程度です。この時代にはポルシェ944ターボが発売されており、またもやプアマンズポルシェと呼ばれてしまいました。このRX−7は欧州にもNAで輸出され評価はけっこう高かったようです。ではなぜターボを輸出しなかったとの疑問が残るが、アウトバーンをポルシェやベンツ並みに延々と走らされると13Bターボエンジンにはまだ耐久力が保証されていなかったらしい。この車は3代目RX−7が発売された今でも現役でよく走っています。
ITS PEUGEOT205GTI (5MT) 1989年〜91年
時はバブルの全盛期。そろそろ国産車に個性的なものが失われてパワー競争に突入した時期にWRCやパリダカで連戦していたプジョー205ターボ16 LOOKの車がCG誌の広告に掲載され衝動買いした。ドイツのITS社(今でもあるのかな?)で205ターボLOOKとしてオーバーフェンダー(樹脂製)とタイヤサイズUPを身に纏った仕様。エンジンは4気筒1900cc/130psのノーマルのままでサスペンションは強化されていた。プジョー205GTIの走りはラテン系の乗りと、スペックでは言い表せない楽しさがあり、街中をキビキビ走るには持ってこいであった。しかしながらまだ当時のフランス車は品質トラブルが多かった。プラグコードの接触不良により1気筒不調のオーバーヒート寸前救援騒動、冷却水もれ、エアコンON時のエンジンストップ、リアハッチバックからの雨漏れ 等今の国産車から見れば告訴ものである。エアコンON時のエンジンストップなどは交差点のど真ん中で発生したりするので、アイドリング回転を規定値より1000rpmまで無理矢理Upさせて乗っていた。私の車は並行車でしたが、当時の正規デーラー車も同じ問題を抱えており、対策部品すら出ない状況であった。たぶん今のプジョーはかなり品質は向上しているでしょう。
PORSCHE911カレラ4(Type964) 1991〜1992年
この車についてはオーナー紹介PAGEに記載しているので省略します。
MAZDA AZ-1 1993年〜1998年
964カレラ4を断腸の思いで手放した後、個性のない国産車は買わないと心に決めていたが、このAZ−1が発売され、面白いと思ってしまった。ミッドシップレイアウトでとにかくハンドリングがカート感覚で曲がり、今までの国産車にない異端児的な個性が光っていたのである。この車のキャッチフレーズは「未体験ハンドリング マシン」と紹介されていた。装備はエアコン以外のオプションは付いておらず、ひたすら走るだけの車なのである。(当時軽四クラスのスポーティカーは、すでにビートやカプチーノも販売されていた。)1992年末のカーオブ ザ イヤーの審査員投票の中にCarジャーナリストの下野康史さんがただ一人満点を付けており、その他の審査員はほとんどソッポを向いてしまい、真っ向から評価が分れていたのを思い出す。後に下野康史さんがワーストカーばかりを紹介したBOOKで当時の審査員に何を考えているか理解できないといった色眼鏡で見られたと告白されていましたが、それほど個性が強い車でした。このAZ−1は今の993と一緒に手元においておきたかったが、993の経費やトラブル発生に備えて売却しました。(ホンダNSXとAZ−1を2台所有しているオーナーさんもいるようです。)この車は4000台ほどしか生産されなかったので売却価格はプレミア価格で売れました。買い取り業者からぜひとも売って欲しいと依頼があり、5年半乗り新車価格の55%近い価格で引き取られました。今もどこかできっと可愛がられていると思います。
SUBARU ドミンゴ GV/4WD(1994〜2000年)
我が911と同い年の、この車こそ我が家最強?の車である。(ほとんどカミサン専用車)おまけにポルシェ911カレラ4と同じRR/4WDレイアウト?(笑)そして、モノコック構造の車体が殆どの国産の中にあって今だ強靭なフレーム構造を採用?ボディサイズ全長3525mmで世界最小の7人乗りのタイトル保持車? フルモデルチェンジしない国産車ベスト3ランキング車?笑ってしまいますが、全部本当のことです。エンジンは3気筒OHC1200cc/61ps、ミッションはECVT採用の無段階ATです。まあ、面白おかしく書きましたが、この車は結構真面目に作ってあります。4〜5人程度の乗車であれば多少窮屈ですが、問題ありません。さすがに峠道や高速道では後ろからパッシングの嵐ですが、RRレイアウトのトラクションとフラットなトルクで50km/hまでの加速は無段階ATとの相乗効果により普通のファミリーカーには負けませんし、軽四並のボディサイズのため狭い道や山道もミズスマシのようにスイスイと軽快に走ります。そしてたいがいの場所でUターンできます。いつだったか山のデコボコ道を走っていた時、前を走っていたエスティマがそれ以上進めずUターンしようとしたが回転できずに困っていた。しかし我が家最強のドミンゴはいとも簡単にUターンをやってのけエスティマさんには悪いがバイバイさせてもらったことがある。この車はよく軽四に間違われ軽くみられるのか、よく無法な割り込みを平気でされてしまう。このような理不尽な目にあった時、この車にインプレッサの4気筒ボクサーエンジンを搭載して迎撃してやろうかとか、ターボを追加してやろうかとか、悪魔の計画が頭の中をよぎったりすることがある。誰かインプレッサの事故車エンジンかなにかで公認改造をしてくれませんかね?(笑)それともスバルで今のボディサイズで次期ドミンゴに4気筒ボクサーNAエンジン(170ps)をリアに積んで出してくれれば、私は本気で買いますよ! 見かけは御米屋さんの配達車でRタイヤは15インチ205/パワーウエイトレシオ5.5kgの怪物ドミンゴ。面白いじゃないですか。いずれにせよ我が家にとっては大切な車です。